防災士インタビュー

杉島理一郎さん

お仕事の内容をお聞かせください

公益財団法人松下政経塾の第三十一期生として、様々な研修や研究及び実践活動を行なっております。松下政経塾は、昭和54年にパナソニックの創業者である松下幸之助翁が、日本の混迷を憂い、この難局を打開するためには「新しい国家経営を推進していく指導者育成が、何としても必要である」との思いから、設立した私塾です。私は特に、日本の伝統精神に基づく国家経営や、地域で育む教育のあり方について研究をしております。 同時に、東京都小平市の国際総合武道学館飛鳥会という空手道場において、文武両道の青少年健全育成のために教育活動を展開しております。そこでは、24時間365日、全ての大人が先生であるという思いのもと、積極的に地域清掃や防犯パトロール、福祉施設等での演武や地域参加など、社会貢献にも力を入れており、未来を生きる子どもたちの心身を育む教育環境の創出に努めております。

なぜ防災士の資格を取得しようと思われましたか

私は以前、政府系金融機関に勤めておりました。仙台支店の融資担当をしていた平成20年に岩手宮城内陸地震が発生し、私の担当地区が被災をしました。そこで、災害復旧にかかる事業者の金融支援を行ない、震災の恐ろしさや防災の重要性、そしていかに復旧復興には時間を要すものかということを肌で感じてきました。そしてその3年後、松下政経塾に入ってから東日本大震災が発生しました。私は、いてもたってもいられずに、震災後すぐに被災地に向かいました。そこでそのまま気仙沼にある被災した知人の旅館に泊まり込み、電気・ガス・水道のない被災生活を送りながら、復旧作業のお手伝いを続けました。 それから断続的に気仙沼に関わりながら、復興のお手伝いを続ける中で、防災や減災の重要性、また災害が発生した際に、正しい知識を持つ人間がリーダーシップを取ることの重要性を痛感しました。日本は災害大国であり、私自身が住む関東においてもいつ大きな震災が発生してもおかしくないと言われております。二度も大きな震災を経験したからこそ、その時の経験を活かし、さらに包括的・体系的な知識を習得し、横の連携を図りながら、万が一の災害の際に少しでもお役にたてるよう、防災士の資格を取得しようと考えました。

防災士の資格を取得して得たことを、どのように役立てようとされていますか

私は、3.11の当日は神奈川県茅ケ崎市の辻堂海岸近くにある海抜7mの政経塾敷地内におりました。大きな揺れの後、テレビでは海岸部一帯に大津波警報の表示がなされ、外からは防災無線で避難を促す警報が何度も流れておりました。しかしながら、地域の人々の多くは避難をしませんでした。今回は有り難いことに津波が来襲する事はありませんでしたが、これに表れているように、私の住む地域でも多くの方は災害に対する備えや心構えがまだまだ十分ではないように思います。多くの防災士の方々や、意識の高い地域の方々と共に、まち全体の防災体制を確立するとともに、一人ひとりの防災に対する意識を高め、お年寄りや体の不自由な方々を共に支えていきながら、被害ゼロの地域防災体制に少しでも貢献できるよう取り組む所存です。

今後の課題、抱負をお聞かせください

現在、地域教育の取組を市と連携を図りながら進めております。そこでは、放課後子ども教室や学校支援ボランティアの取組が先進的に行なわれている地域でもあり、市内の小学校や中学校において、防災教育の授業展開についても提案ができればと考えております。 また、首都直下型地震の発生リスクに備えて、阪神淡路大震災等の事例をより深く研究しながら、家庭でできる防災対策についてのセミナーやお年寄りの単身世帯などに対する防災対策の訪問診断などにも力を入れていければと考えております。 何よりも、一人ひとりの防災意識が向上し、自分や家族の生命財産だけでなく、地域や社会全体の安全安心を意識していく機運が高まることで、共に支え、共に生きていくという地域共同体の本来の姿を取り戻すとともに、自然に感謝をして、自然と調和をして生きていくという日本古来の大切な心が、子どもたちへと受け継がれていくことを心より期待しております。

今後の抱負をお聞かせください

現在、FMラジオ「J-WAVE」で番組を担当しています。ラジオは災害に強いメディアです。 常に防災についての知識をアップデートし、災害時には役に立つ情報を発信しなければならないと思っています。

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