防災士インタビュー

保田真理さん

お仕事の内容をお聞かせください

 15年前から、東北大学の津波工学研究室で研究支援をしています。
 最初は簡単な事務補佐から始まりました。今村文彦先生(当時は助教授)の留守番が務まれば良いかな?くらいの気持ちでスタートした仕事でしたが、沿岸市町村の津波に対するアンケート調査をまとめたり、先生が雑誌に寄稿される文章を見せていただいたり、趣味のカメラで現地調査の手伝いをするようになって、今まで知らなかった津波災害を自分でも興味を持って調べるようになりました。津波災害の発生頻度は低いのですが、沿岸市町村には壊滅的な被害を与えます。古文書や石碑、堆積物データなど、最近では解析が進み、古い津波の波源域まで特定できるようになって来ています。高度な解析から、地道な一人ひとりへのヒアリングや避難訓練やワークショップまで、我々は様々に防災・減災を考えています。その中で、私は減災意識の普及のために、沿岸部の脆弱性の調査と評価、減災教育に取り組んで行きたいと思っています。海外からの留学生も多くいるので、日本の減災文化として、海外にも日本の対策の良い点をどんどん普及していっています。

ご自身で被災された経験がございましたら、お聞かせください

 私は職場で3.11大震災を体験しましたが、まずは帰宅難民に。自宅は幸い内陸にあったため、地震の揺れによるひび割れや傾きのみで、現在も住むことができています。ただ、避難所には行かなかったので、断水、停電のが長く続く中、いっさいの公的支援が無かったので(給水の列に5時間並んで結局貰えませんでした)、友人知人と助け合って(情報交換や物々交換)、乗り切る事が出来ました。とくに、兵庫県にいる大学の同級生から、孫へのおむつやミルクの支援は本当に助かりました。今回のような広域災害では、早朝から並んでも、必要な物資が買えなかったからです。出来るだけ大勢で物資や知恵を出し合って暮らすという、昔からの日本の家族制度の良さや、友人知人との日頃からの繋がりの大切さを改めて感じました。

なぜ防災士の資格を取得しようと思われましたか

 仕事柄、多少防災の知識を持ち合わせているかなという思いと、娘は看護師、婿は消防士、では私は防災士で、何か社会に貢献できないかなと考えたからです。

防災士の資格を取得して得たことを、どのように役立てようとされていますか

 自然災害の発生は、予測も止める事も困難ですが、その実態を認知していれば、適切で安全な行動は取れると思います。職場では大切な学生も預かっていますし、災害を研究している職場で、災害による被害を出してはいけないと、物品の転倒防止対策や安否確認の方法などを話し合っています。研究室の行事にはサバイバル体験をしてもらうために、キャンプやサバ飯炊きを実践しています。地域では、3.11大震災以後やっと防災士という資格を認知していただいて、町内会同士の災害協定の必要性や、地域にあった減災対策などのお話をさせていただく機会が増えました。

現在、実際に取り組まれていることがありましたらご紹介ください

 現在は、一般の防災減災に対して認知度が低い方々にも減災意識を持ってもらえるような減災教育アイテムの開発に取り組んでいます。減災風呂敷もその一つです。幼児向けの絵本もみやぎの防災士で力を合わせて作ろうとしています。減災対策しましょうと声をかけただけでは、皆さんがその気になってくれないので、自ら興味を持って考えたり、実践してくれる事を目標に、いろんなアイテムや話題提供の構成を考えています。

今後の課題、抱負をお聞かせください

 今後の課題は、防災・減災を如何に興味深いものにすることができるか、各自の考えで自然と安全な行動を取るようにできるかですかね。今回も亡くなった方々は、ほとんどが津波の犠牲者です。地震と津波にはタイムラグがあり、早い所でも、30分の時間があったのに、その時間を使って高台に避難してくれていれば、多くの命は助かったはずです。まだまだ、自然災害の実態や日頃の準備や心構えについて、伝えきれていないと思います。
 今後の抱負は、3.11大震災の記憶をしっかり語り継ぎ、同じような大震災が来ても死亡者は限りなく0にしたいです。復興は大変ですが、家族揃って生きていれば、財産は失ってもやり直せると思います。人生において一番悲しくて辛い事は大切な人を亡くす事だと思うからです。

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